バイオリンと録音と

クラシックのコンサート、バイオリンの演奏方法、バイオリンのグッズについての記事多し。他、楽譜(Lilypond , Sibelius)、和声学、作曲、DTM関連を取り扱っております。

2012年02月

『2本のバイオリンのための組曲』を登録しておきました。
https://drive.google.com/open?id=1ynOSxS_4CD97qe05fArVmIE9hvtV6TD5

サラサーテ:アンダルシアのロマンス

今回は、サラサーテ作曲、アンダルシアのロマンスをとりあげる。演奏者は、松原勝也さん。

元新日本フィルのコンサートマスターで現在は、東京藝術大学教授である。松原さんは、作曲家の武満徹さんとも親交が厚く、数多くの現代音楽の初演を演奏してきた実績がある。現代音楽というとなんか知的で難しい感じがするかもしれないが、濃厚なロマンティック音楽も非常に得意にされていて、聴いている者を強力に引き込む力がある。
古い巨匠のCDしか聴かないクラシックファーンは、「ちかごろのバイオリニストは、個性がなくて、つまらない。」とか言って全然コンサートに行こうともしない人がいるが、こう人に聴いてもらいたいバイオリニストの一人である。


再生ボタンサラサーテ作曲 アンダルシアのロマンス

演奏者: 松原勝也(バイオリン)、野海直子(ピアノ
)
2012/2/18 師匠の自宅にて録音。

24Bit 96 KHz録音したマスターをMP4に変換しております。


再生ボタン我が母の教え給いし歌
ドヴォルザーク作曲(クライスラー編曲) 

 
もう1曲をサービス。
あのヨーヨー・マ
が思わず感嘆の声をあげた勝也さんの真骨頂を聴くことができます。
芸術はグローバルではなく、表情豊かなローカルであってこそです。

室内コンサートの録音

今回は、師匠宅の居間にての録音。

居間は、24畳ほど、グランドピアノが置いてある。
30名ほどの人にほぼ来客されていた。

師匠に招かれたバイオリニストは、松原勝也さん。元新日本フィルのコンサートマスターで現在は、東京藝術大学教授である。ピアニストは、野海直子さん。伴奏を専門としておられるプロのピアニストである。

今回のマイク・セッティングは、舞台の右からバイオリンとピアノにマイクを向けて録音。
右がバイオリン、左がピアノになる。録音の都合上、右スピーカーから音が大きく聴こえるが、バランス調整をすると嘘臭くなるので今回は、見送った。

師匠の部屋


マイク位置


マイクの角度は、ピアニストとバイオリニストに向かうように設定した。このため変則的な角度になっている。この位置での録音で良いこともある。聴衆にマイクを向けていないので、指向性マイクの特徴により聴衆の雑音はカットされるのだ。あるお子様には、ヒヤヒヤさせたものだ。これが入っていないので、ホットしたのであった。

 ●リバーブ

音はオンマイク状態で生々しく録音できのだが、このまま視聴すると耳が痛いこともあり、少しリバーブ処理をかけることにした。なお、イコライジングについては、特に調整なし。
AudioEase社のアルティヴァーブである。アルティヴァーブは業界では最高のリバーブ・プラグイン・ソフトと呼ばれているが、コンサートホールでの複雑な残響音を再現できているわけではないことを実感。とはいえ、この違いが明瞭になるのは、24bit 96KHzのレベルが必要だが。

Altiverb


●録音データ

録音     24bit 96KHz
出力マスター 24bit 48KHz 192Kbps
出力マスターフォーマット MP4
マイク  AKG C214
録音機  TASCAM  DR100
録音編集 Digital Performer 7.2.1

●録音
 以下の記事に掲載。
 サラサーテ:アンダルシアのロマンス

グローバル・タイプ

ダニエル・ホープのリサイタルへ行ってきた。

今回のリサイタルは、結構考えられたプログラムで、ブラームスの周辺の作曲家
ということで、クララ・シューマンやヨアヒムが取り上げられていたのは好印象。

ダニエル・ホープについては、有名人であり知ってはいたが、今回初めて聴くこ
とになった。
聴いた感じは、典型的なグローバル・タイプで、技術的な傷はなく、音程はぶ
れず、はっきりとくっきりとした音、適度にメリハリの利いた情熱的なビブラー
トをもつ。ご本人は、英国育ちの南アフリカ出身というのもうなづける。

グローバル・タイプの演奏家は、技術は安定しており、今回のホープもE線の
裏返る音を一切ださなかったというのは、すごく高度なボーイングなのだと思う。
ホープの場合、弦と弓を直角にあてるのではなく多少、右ひじを体に引き付ける
感じで、若干の角度をつけて弾いていたが、これがそのポイントなのかもしれな
い。

技術的には満足できるのだが、ホープのようなグローバル・タイプのバイオリニ
ストによくあることだが、マーケティングされた音作りが際立っていたため、感
動が薄められてしまったものと思う。

この曲は、スケルツォだから、こういう表現で強くとか、ここは情熱的にとか、
ここは弓を飛ばして技法をみせるところとか、計画的に演奏されると、聴く方と
しては、それを予想できるので、とてもシラケルのである。

グローバル・タイプと方向性は似ているが、結果が異なるバイオリニストに、あ
のギトリスじいさんがいる。ギトリスじいさんは、観客をどうやって沸かせるの
か、漠然とした戦略はあるのだろうが、その戦略どうりに安全運転するグローバ
ル・タイプではない。ほとんど崩壊寸前というか、最近は年のせいで崩壊してい
る場面も珍しくないが、この危うさがハラハラさせてくれる。それでも決め所で
ばっちり決めてくれるという歌舞伎役者みたいなことをよくやってくれるので、
独特なギトリス・ワールドが生まれてくるのだが。

カルミニョーラもグローバル・タイプとは考え方が違う。こちらは狂気じみた速
度で公道を突っ走るレーサーのようなもので、オーバーランしないか、ハラハラ
感が楽しい。また、そうした熱い演奏の後にある歌心のあるイタリアン・カン
タービレも人の心を吸い込んでいく。昔ならハイフェッツがそのタイプになるだ
ろう。

クレメルやマンゼ・クラスのバイオリニストになると、スタンダートというもの
は、もはや存在しない。有名曲であっても楽曲が今作られたのではないか錯覚す
るくらいの仕上がりの演奏になる。

今回、ダニエル・ホープは、アンコールでバッハのBWV1015のラルゴを随所に装
飾音をたくさん入れて弾いてみました程度の軽いノリで演奏してくれたのだが、

わが神よ、哀れみたまえの有名旋律を
「一粒の涙が流れ落ちるさまを表現する絶妙なグリサンド」

で表現したマンゼの神がかりの演奏を聴いて感動を味わっている耳には、とても
底が浅い感じがする。
 特にトッパンホールの聴衆はかなり耳が肥えてきているのだから、それに対応
していく観客の嗜好のマーケティングも必要があると思うのだ。食品業界では、
これを『感動品質』と呼ぶらしい。

●プログラム

2012/2/23(木) 19:00開演

ダニエル・ホープ(ヴァイオリン) / セバスティアン・クナウアー(ピアノ)

ブラームス:F.A.E.ソナタ より スケルツォ
クララ・シューマン:ロマンス Op.22-1
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 Op.78 《雨の歌》
メンデルスゾーン:歌の翼に Op.34-2/魔女の歌(もう一つの五月の歌) Op.12-8
ヨアヒム:ロマンス 変ロ長調 Op.2-1
グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調 Op.45
ブラームス(ヨアヒム編):ハンガリー舞曲第5番 ト短調


オフコース・バッハ

「オフコース・バッハ」

そう言って、チェロのマクギリヴレイと共にアンコール曲を演奏するポッジャー。

来てよかったと思った瞬間だ。

派手なところは、まるでなく普通。普通に弾いているだけで魅力のある演奏ができる人はそうはいない。
業界では、ポッジャーのことを『天女』と呼ぶらしい、それにふさわしい優雅でやさしい音の演奏。

この普通というところがミソだ。もう少し深堀してみよう。

バッハの無伴奏を普通に弾くというのは、実はとても難しい。たくさんの重音奏法や、一本のバイオリンで2つ以上の旋律を浮かび上がらせたりする必要がある対位法の箇所が多く、一本のバイオリンの4つの弦では、どこかに無理が生じる。バロックバイオリンとバロック弓の組み合わせなら、楽器の構造上多少緩和されるとはいえ、やはり普通に弾くのは難しい。

でも心配無用とばかりに、三番のアダージョから、天女が暗雲から舞い降り、光照らすように音楽は徐々に輝く。
重音、対位法ともにくっきり。そして遊び。数々の装飾音が、即興で付け足されていく。それも鳥の鳴き声のように自然だ。

感心したのは、三番のアレグロ。
ほとんど16分音符の羅列になっているこの曲は、何も考えずに演奏してしまうと単なる16分音符の練習曲に聴こえてしまうのだが、単旋律ながら、バッハの高度な作曲技法によって、複数の旋律を奏でられているかのように聴こえる。まるでエッシャーのトリッキーアートのようだ。
ミルシティンは、この曲を名刺代わりによく弾いていたが、いく通りにも隠れた旋律を浮かびあがらせ、秩序のなかの自由さを表現していた。今回のポッジャーの演奏は、それにも劣らず、自由であり、巧みな音色変化で浮かびあがらせる旋律は、ミルシティンのそれをも上回る。ずっと聴いていると、ポッジャーの後でミルシティンが弾いているかのような錯覚すら感じたほどであった。

3番のパルティータも同様にバッハの対位法旋律をすべて聴けた。ここでもラストのジークがおもしろい。
3番のジークは、結構あっさりと書かれているので、少し物足りなく感じこともあるのだが、ポッジャーは結構、装飾音をたくさんいれて再構築しているかのような演奏であった。なるほど、このくらいでちょうどバランスが良いのかもしれない。

次に午後の部と移る。

珍しい協奏曲が、2曲あった。
チェンバロ協奏曲をバイオリン用に編曲した版ということだ。2曲ともに2楽章が美しい。

テレマンの3台のバイオリンのための協奏曲は、楽団員の2名のバイオリニストとポッジャーとの楽しい競演になる。
それにしても、ポッジャーとの音色は、その柔らかさにおいて、他の二人とはぜんぜん違うのだなあと感心。

第2番の協奏曲も標準的なテンポで心地よく聴けた。
第1楽章のビオラパートで、唐突で不自然な音に聴こえたところがあったのだが、繰り返しの部分でもそう演奏していらっしゃったので版の違いなのかもしれない。あとで調査しておくことにする。

2012.2.19(日)公演

コンサートV:ソロ

時 間
11:00開演(10:30開場)
曲 目
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005*
無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV1008**
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006*

コンサートVII:コンチェルト

時 間
15:30開演(15:00開場)
曲 目
ヴァイオリン協奏曲 ト短調 BWV1056 *、◎
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 BWV1053 *、◎
テレマン/3つのヴァイオリンのための協奏曲 ヘ長調 TWV53:F1 *、◎
ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 BWV1042 *、◎

出演

レイチェル・ポッジャー[ヴァイオリン]*

ブレコン・バロック◎
・アリソン・マクギリヴレイ[チェロ]**
・ボヤン・チチッチ[ヴァイオリン]
・ヨハネス・プラムソラー[ヴァイオリン]
・ジェーン・ロジャース[ヴィオラ]
・ヤン・スペンサー[ヴィオローネ]
・マルチン・スフィオントケヴィッチ[チェンバロ]

ディエゴ・アレス[チェンバロ]***



いかねば、ならぬ何事も

レイチェル・ポッジャーが来日しているとは知らず、スケジュールの調整で頭がいたい。土曜日は、師匠の家でコンサートがあるので無理。今回は録音担当。とにかく日曜日。なんとか行かねば。

このブログを見に来るような人ならレイチェル・ポッジャーを知らない人は、いないと思いますが、現在最高峰のバイオリニストの一人。ひな祭りにたとえると、男雛がアンドリュー・マンゼで、女雛がレイチェル・ポッジャーにあたります。そのポッジャーが来日とあらば、これは行くしかないのであります。しかも今回のプログラムは、てんこ盛り。まさに3月のひな祭りが2月に前倒しになったくらいの豪勢なもの。

私のポリシィとしては、バイオリニストに関しては、コンチェルトと、室内楽の両方を聴き評価するということになっているのですけど、今回はそれを一度に聴けてしまうのです。なんと贅沢な。しかもチケット代金も格安です。

●詳しくは、こちらにサイトに掲載されています。
http://www.triphony.com/concert/20120218topics.php

イザイのかたりべ

本日、トッパンホールにファニー・クラマジランのリサイタルに行ってきた。

ホールは、ほぼ満席であり、意外に有名だったのだなあと感心。東京のバイオリン好きは、層がかなり厚い。頼もしいかぎりである。

「バイオリンの音はコンサートで聴くべし。CDからは何もわからない」

という論があるが、私もまった
くその通りだと思う。
マンゼ、テツラフ、カルミニョーラ、ヒラリー・ハーン、ムローヴァ、イザベル・ファウストなどキラ星のごとくそろっている現役世代のレベルの高さ、クレメール、ムター、ギルシャハムなども近年ますます磨きがかかっているし、こうした演奏家を生で聴けるのだから、今や黄金期ではないかとすら思ってたりする。そうそう、バロック界のスター、レイチェル・ポジャーももうすぐ来日するしね。

そんな、強者ヒシメク、バイオリン界で、新人バイオリニストが 、名乗りを上げて生き残っていくのは大変なことなんだろうと思う。そんななかでクラマジランのこの集客力はかなり大したものだ。

 さて出来栄えの方だが、今回の演奏を聴いて、それだけのことはあると納得。

定評のあるイザイだが、実にいい感じの演奏であった。まず素晴らしいと思ったのが、フレーズとフレーズを対比させながら丁寧に、少し間をもたせたりしながら弾いていたこと。演奏しているというよりも語っていると感じだ。ミルシティンのバッハや、イザベル・ファウストの得意とする表現だが、これらとも少し違う感じ。より高貴なお方が語っている感じのするイザイ。

それと微妙な弓さばきで生まれる、音色での水墨画のような表現。このにじみ具合が実にいいのだ。

イザイでよく出てくるドビュッシー的な部分。6度の連続重音だが、クラマジランは、絶妙な弓使いで音を溶かしていた。たぶん、駒の位置をコントロールしながらアップボーとダウンボーで音色を切り替えるくらいの芸当をやっていたように思う。


ysai


他、サーンサーンスの方は、こうした弾き方を変更し、かなり駒よりにフォーカスした弓さばき。おそらくこれくらいの音量が出せているのならコンチェルトでも心配ではないであろう。多彩な弓さばきとその美しさは素晴らしい。

あと、気になるところがあるとすれば、魅力となるビブラート表現を武器としてさらに強化してほしい。これは上記で述べたS級バイオリニストなら必ずもっている表現なのだが、武器と呼べるまでには、まだ時間がかかるのかもしれない。ムター、クレメール、イザベル・ファウストなどのクラスになると、思わず息を飲むくらいの表現をここぞというところでだせますからね。

●追記
 クラマジランという名前は、私には結構覚えにくい名前であった。クラマラジンとか勝手に脳内変換している場合もある。対策として漢字にしてみると記憶できるようになった。『鞍馬路蘭
。これで誤変換しなくなった。

 業界では、「骨太の妖精」とかのキャッチフレーズだが、これは聴いたイメージとも、体のスタイルとも全然一致しない。どっかの政党のキャッチフレーズみたいで嫌味な感じである。

私がつけるなら『イザイのかたりべ』である。

ファニー・クラマジラン

バイオリン好きな人にとっても、明日のトッパン・ホールでのファニー・クラマジランのリサイタルは見逃せないところ。彼女のイザイの演奏は次元が違うとさえ言われているからだ。私もたくさんのバイオリニストのイザイを聴いているが、どれこれも、コンクール・ミュージックの域を超えておらず、イザイの複雑な心の有り様を表現できていない演奏ばかりで、がっかりさせられることが多い。

そのなかで、ただ一人次元の違う演奏をしてくれたのは、現在のところ、ヒラリー・ハーンのみである。ヒラリー・ハーンは、イザイの直系の師匠筋なので、一子相伝的な何かをヤッシャ・ブロツキーから教わっているのかもしれない。

それに対する強力なライバルが、
ファニー・クラマジランであればうれしいのが、なんせ私も生で聴くのは今回初めてになる。舞踊家の勅使川原三郎より大絶賛されたほどの才能を聴いてみたいものだ。
 
2012/2/11(土・祝) 15:00開演
トッパンホール

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 Op.27-1
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
メシアン:主題と変奏
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.27-3 《バラード》
サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調 Op.75

 

KV216の楽譜を買い直す



KV216のマンゼ版と先生の持っているカール・フレッシュ版のあまりのフレージングの違いに閉口し、カール・フレッシュ版を買い直すことにした。ボーイングがまったく違うので、レッスンのたびごとに修正されるのは、ちょっとしんどいこと。臨機応変でいきたいところだが、ああ、悲しきかな初学者。一つ覚えたボーイングを修正するのは、とても大変なことなのだ。

クラシック音楽の場合、楽譜通りに弾くということは、良く言われていることだが、あながち間違いではないとしても、もう少し突っ込んで言うと、クラシックの演奏は版を選ぶというところから始まる。プロになると、複数の版を研究したり、作曲家のオリジナル原稿のファックシミリを確認したりして演奏しているのが普通のこと。こうして出来上がった楽譜を自分のオリジナルの楽譜として演奏しているのであり、楽譜通りに書かれている
フレージンングをそのまま演奏するということは、ほとんどない。あるとしたらコンクールでの演奏であろう。ただし、音程は変更してはいけないというのはルールかもしれない。

ということで、面白くなってきたのでマンゼ版、
カール・フレッシュ版、を比較してみた。
マンゼ版の方は、モーツアルトの書いた楽譜を忠実に編集するという意図がみられる。
カール・フレッシュ版は、バイオリニストの視点でフレージングが細かく書いてあることである。もちろんモーツアルト自身がそのように書き込んでいるわけではないのだが、長年の伝統的なスタイルが集積されたものと考えてもらってよいと思う。

●マンゼ版
 スタッカートではなくスタッカティ
シモになっているのが古楽らしい感じ。

  KV216第一主題│マンゼ


●カール・フレッシュ版
これは従来のクラシック・スタイルのフレージング。ご丁寧なことにフレージングごとに区切り記号(/)も入っている。スラーの付け方が、マンゼ版と大きく違うことがわかるであろう。
なお、47小節にでてきる装飾音だが、フレッシュ版では、モーツアルトの書いた装飾音符を演奏しやすいように翻訳して楽譜に書いてあるが、マンゼ版では装飾音符をそのままにしている。この装飾音って、翻訳してしまったら音楽的なニュアンスを無くすのではないかと思うのだがどうなんだろう。少し文献を読んでみる必要がある。

KV216第一主題│CF

 第一主題のフレージングが、ここまで違うと音楽が発展の仕方がまったく違うようになるのだが、これが、現代の古楽の成果として新鮮なモーツアルト像を提示していることに繋がるのであろう。
実際にマンゼやカルミニョーラの演奏は実にフレッシュである。古楽ではこうしたスタッカートの表現にとてもこだわる傾向にある。
 私は、モーツアルトはあまり好きな作曲家ではなかったのだが、それは退屈な演奏によるものが大きかったのだろう。こうした最新古楽の生き生きとした演奏に触れることによって興味がわいてきた。 
とはいえ、オールドスタイルでの演奏法をマスターすることも重要であろうから、レッスンではこちらを尊重していく。
 
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