「その弓で何がしたいのか?」と尋ねたきたからである。
この一言は、結構、ぐさっと来た。そう私は何がしたいのであろうか。その弓は本当に必要なのだろうかということだ。冷静になってみると、別に人に聴かせる商売をしているわけではないのに、100万円の投資は、妥当なのかということにつきる。第三者からみれば、たかが棒なのである。論理的には、それを欲する理由はない。 無駄な投資である。でもクラシック音楽は、たくさんの無駄なものからできている。無駄に楽譜購入して、無駄に練習し、無駄に高いコンサートチケットを購入し、無駄に音楽を聴いているのである。そして気に入った演奏ならCDを買って、無駄にサインしてもらっているのである。 そもそも人間そのものが、地球にとっては無駄なのではなかろうか。
無駄であるという呪縛を突破する理由は、唯一、それがほしいという欲望のパワーだけである。
ということで、観念論を突破したのだが、今度は、それより良い弓がなかったのかという疑問に回答できなければならない。
で、早速、自分のバイオリンを持って、楽器店へいった。そしてくだんの弓を試奏してみたのだが、「???」という感じなのである。断然に音色が良くなるであろうと大いに期待していたのだが、音色に関しては、今持っている弓とさほど変わらないのである。また別の新作弓でもおなじこと。音色に大きな変化はない。弓の音というよりは、バイオリン本体の音の方が優勢なのである。
さらに操作性は、もちろんくだんの弓の方が優れていたのではあるが、同じ価格帯の新作弓の方もなかなかの具合がよかったのである。
で、バイオリンを変えてみた。今度はお店にあるモラッシーの新作バイオリンなのだが、これだと大きく音色が異なることが再確認できた。自分の持っているバイオリンとモラッシーのバイオリンで何が違うのか、キョトンとするより他なかったのである。迷いが生じた。
弓の性能が、自分のバイオリンを超えたのか、モラッシーの新作バイオリンのどちらを超えたのであろうか。どちらが正しいのか?あるいは正しくないのか?
お店の人は、くだんの弓の方がよいとおっしゃっていたのだが、私の脳内では違いはないと言っている。王様の耳はロバであっては駄目なのである。クラシック音楽を聴く上での基本なのである。
迷いが生じたときに買い物をするとろくなことにならないので、その日は、店をでることにした。
数日して、今度は別のお店へいってきた。都内の大きな弦楽器店には、ギヨームの金黒檀の弓が常備されており、私はこれをリファレンスにしているのだが、2店舗だけは、極めて優れた弓であって、びっくりした。ギヨームってこんなによい弓だったけと言う感じ。
大体、この弓は、都内一律で、105万円の定価である。いつものようにそんなに大したフェルナンブコではないと思っていたのだが、今回のはかなり優れものがあった。これは見ただけでわかるほど。こちらは、かの弓よりも、しっかり弦にひっかる弓なのである。この感じはとても快感であった。なんでお店によってこんなに差がでるのだろうとも思った。
さらに値段はもう少しアップするが、本命の弓を見つけた。これは今までみたなかでも、最高のフェルナンブコを使っている感じで、弓がかなり細く作られており、艶がありとても美しい弓だ。
こちらも新作弓とのことだが、オールド弓に劣らぬ音色、操作性、ひっかり感じがあった。さてさてどうするか。またまた考えてしまったのだが、弓の国内価格は、海外の2倍ということもあり、これだけの値段を出すのであれば、ニューヨークあたり行って帰ってきても元がとれるのではとも思ってしまうのであった。
あるいは、ケース・ファン・ヘメルトさんとか、 笹野光昭さんとかの弓職人に作ってもらうという手もありかなとも思ったりするのである。保留の美学か、「今でしょう」なのか悩ましいところである。
●どうでもよい話
バイオリンの場合は、買い取り制度があって、有名作家の場合、バージョンアップさせることができる場合も店によってはあるのだが、弓の場合は、その制度があまりない。100万円の弓でも20万円で買い取ってくれればよい方とのこと。なので、ヤフーオークションには、なんでこんな値段でこの弓がというのがたまに出品されるのでしょうね。