バイオリンと録音と

クラシックのコンサート、バイオリンの演奏方法、バイオリンのグッズについての記事多し。他、楽譜(Lilypond , Sibelius)、和声学、作曲、DTM関連を取り扱っております。

2014年04月

『2本のバイオリンのための組曲』を登録しておきました。
https://drive.google.com/open?id=1ynOSxS_4CD97qe05fArVmIE9hvtV6TD5

イザイの無伴奏について

本日、イブラギモヴァのイザイ無伴奏ソナタの全曲演奏会に行ってきた。

2014/4/30(水) 19:00開演
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン) 
イザイ: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Op.27
第1番 ト短調/第2番 イ短調/第3番 ニ短調/第4番 ホ短調/第5番 ト長調/第6番 ホ長調
 
 イブラギモヴァは今回はじめて聴いた。覚えにくい名前なので漢字にしてみると、『伊喪婆』とこんな感じか。聴いてみた感じではロシア人らしく力強い『武』と鋼の技術力『技』のイメージがある。この人の場合は、音量が豊かなので室内楽よりもオーケストラ相手の協奏曲の方が映えると思う。

さてイザイ無伴奏ソナタに関しては、何回か書いているが強いコダワリがあるので、満足できる演奏はほとんど聴いたことがない。今まで生演奏で聴いたかぎりでは、女王ヒラリー・ハーンと妖精クラマジラン、テツラフのみが及第点である。他、期待できそうな演奏家としては、トーマス・ツェートマイヤーとパトリツィア・コパチンスカヤであるが、いつか聴いてみたいと思う。あとは上級者用メソッドと弾いてしまう演奏者がほとんどである。今回も残念ながらそのような演奏であった。特に3番は、コンクール御用達のような曲なので、大抵のプロヴァイオリニストならうまく弾くことができるが、ただそれだけの話しである。

この曲を演奏するにあたって、献呈者の演奏スタイルを取り入れる必要があるのではないかと個人的に考えている。1番は、シゲティに献呈されているが、シゲティはそれほど上手いソリストではなかったのだが、技術を補う考える演奏をしていた。つまり、百戦錬磨な戦士が晩年に語る鬱積多き人生譚のような、ぽつり、ぽつり話していながら、決め所では、いきなり強調するような唸りが必要で、技術的にある程度傷のあるくらいの演奏の方が説得力があるのではないかと。

第2番は、ティボーに献呈されている。ティボーといえば、ポルタメントを多用した歌だ。現在では下品とされている表現でもこの曲では持ってくる必要があるのではないかと。

第3番は、エネスク。ルーマニアの大バイオリニストでありかつ作曲家。バイオリニストとしての腕は、晩年の録音しかないので、よくわからないが、作曲家としての作品はたくさん残っている。この曲はフランス風に演奏されることが多いが、エネスクの作品のなかにある複雑性にチャレンジしてみる価値はあると思う。

第4番は、クライスラー。私はこの4番は、正直なところ理解できていない。むしろ第5番の方がクライスラーという感じがする。

第5番、第6番は今では無名のマチュー・クリックボームとマヌエル・キロガ。私もよくわかっていないが、調べてみるといろいろとヒントになることが見つかるかもしれない。


 

マタイ受難曲のカンターテナー

本日、バッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲を聴いてきた。

2014年4月19日(土) 開演16:00
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
鈴木雅明(指揮)

エヴァンゲリスト(福音史家):ゲルト・テュルク(テノール)
イエス:ペーター・コーイ(バス)
ハンナ・モリソン、松井亜希(ソプラノ)
クリント・ファン・デア・リンデ(カウンターテナー)、
青木洋也(カウンターテナー)
櫻田 亮(テノール)
浦野智行(バス)
バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)

いつもながらの端正な演奏で、声楽陣、合唱ともに充実した歌唱であった。観客もかなり熱心に集中して聴いておられた。このような長い曲では、集中力を切らした人が、いびき音やあめ玉攻撃を敢行し、雑音が響き渡ることもあるのだが、それがほぼなかったのはよかった。演奏後の拍手は、早い人が何人かいたがフライングというレベルではなかったので、まあいいか。こういう曲は、指揮者が完全に手を下ろすまで拍手はしないというのがクラシック音楽の暗黙の掟というか了解事項であるということを、次回から覚えてもらったらよいでであろう。 

さて、マタイ受難曲だが、この曲をしてクラシック音楽の最高曲とする人は多い。曲の長さに加えて、ドラマ性、感情の起伏、 音量の対比、音楽の構成力など人々を感動させるような要素が詰まっている。こうしたことを解説した本やネット情報もたくさんあるので、こうした知識レベルの脳内変換によって最高であると洗脳されている気がしないまでもない。実際に生で何回か接してみると、演奏形態という視点からみて、不定形であり、完璧な形がないことに気づく。あるいは、それゆえに最高形態を求めて指揮者/演奏家は、歴史的な考察を踏まえて様々なメニューを提供する。 

昔は、大編成で豪華絢爛なソリストを揃えてという演奏が多かったのだが、現在では小編成で透明な音色をもつソリストを揃えてというのが主流。究極的には、クイケン/ラプティット・バンドの一撃必殺各パート1名ずつの小編成マタイというのもあり、これはこれで、利休の朝顔のような美学がある。

さて、今回の演奏では、女性のアルトの代わりに男性のカウンターテナーを使ってきた。バッハの細かい音符の動きに男性のカウンターテナーだと声が太い分、発音が不明瞭になる部分があり、やはり、ここは女性の方がよかったのではないかと思うが、これも趣向の一つであろう。

面白かったのが、「神よ憐れみ給え」のオブリガートをとる第1群のコンミスの演奏で、微妙に音程を揺らす演奏が、異国である中東の雰囲気を醸し出し、ドイツではない聖書に出てくるようなエルサレムの荒野を表現しているように聴こえてきた。クラシック音楽の演奏家は、あまりにも美しく演奏しようとする傾向があるので、こうした声楽との雰囲気合わない場合もあるのだが、これは絶妙にあっていた気がした。合奏団の方も、こうしたクレーメルがやるような個性的表現ができることに少し驚いたのであった。
その点、チェロ側の鈴木秀美さんじゃない方の人は、チェロ的に、つまり楽器的に演奏していたので、カウンターテナーの音色と合っていない違和感があった。カウンターテナーという音色は微妙に不安定であり、それを補う演奏というのがこれから開発されていくのだろう。

このマタイ受難曲には、まだまだ書きたいこともあるのだが、長くなりすぎるのでこのくらいにしておく。




 
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