バイオリンと録音と

クラシックのコンサート、バイオリンの演奏方法、バイオリンのグッズについての記事多し。他、楽譜(Lilypond , Sibelius)、和声学、作曲、DTM関連を取り扱っております。

2016年01月

『2本のバイオリンのための組曲』を登録しておきました。
https://drive.google.com/open?id=1ynOSxS_4CD97qe05fArVmIE9hvtV6TD5

本物を評価出来ない理由

 最近アクセス数が増えてきており、ついに1月は5000PV(ページビュー)を超えた。ブログを書いていて楽しいのは、どのような検索用語でここにたどり着いているのかということだ。たまに検索用語をネタにして記事を書くことがあるからである。今回、面白いと思ったのは、
『日本人が本物のクラシック音楽を評価出来ない理由』
という検索フレーズであった。

この問題提起は、クラシック音楽が本格的に日本に伝わった明治時代からあることだと思う。日本人の特性は、ご存じのとおり、オリジナルの開発は不得手であるが、オリジナルを輸入し、それを徹底的にまねし本物に近いものを作っていく。その一線を越えた段階で、日本人のアイデアを盛り込んだり、そぎ落としながらオリジナルをバージョンアップしていくことにある。

そういう考え方でいくと、日本人にとってクラシック音楽はどの段階なのだろう。個人的な考えだと、器楽音楽に関しては、オリジナルを徹底的にまねしつくした段階で、これからオリジナルなものを付け加えていく、ちょっと前の段階だと思っている。

声楽系に関しては、オリジナルからまだまだ遠い感じである。歌手の方は本場で勉強したりして随分とレベルがあがってきているのだが、聴衆の方が外国語の歌ということもあり、なじみが薄いかもしれないし、喜怒哀楽の劇的な歌表現には、日本人の感覚としてついてこれない感覚がある。でもそうしたものが、器楽にも応用されているので、この点で、物足りなさを感じることもある話である。

それと最近、イタリア語を覚えるとクラシック音楽を理解していく近道なのかもしれないと思うこともある。フォルテとかピアノとかの意味は、楽語辞典に記載されているような音量を大きくする、小さくするとかいう意味ではないし、スタッカート、テヌート、レガート、フェルマータとか汎用的に使わる楽語の意味も楽語辞典に書かれていることはほとんどでたらめであるので、こうしたところは、本場の先生のところでレッスンしてもらった方がよい。
昔、ブルックナーの演奏で、カラヤンはスタッカートを無視しているという批判が日本の評論家からも指摘されていた。つまり楽語辞典でかかれているように「音価の半分じゃないといけないだろう。こら!」という無知力マックスな指摘で叩かれたいた時代もあったのだ。しかしながらスタッカートの本来の意味は音をひとつずつ際立たせるという意味であって、音価を半分にするという意味ではないのである。

幸いなことに今の時代、日本人のプロオケの先生からもスタッカートの本来の意味を教えてもらえるレベルにはなっている。あと古楽系の先生たちも、随分とすさまじい知識があり、外国の演奏家からも、なぜ俺たちより知っているんだと尊敬される場合もある。わざわざバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏を聴きにドイツから埼玉へ来る人もいるくらいなのだ。
また、地味な分野であるが、ピアノの調律師のレベルも今や国際的であろう。海外のピアニストに信頼されている調律師は多い。

そうこう考えていると、演奏家の方が本場に近いか、あるいはそれを超えて来ているのだが、それに置き去りにされた人たちが『日本人が本物のクラシック音楽を評価出来ない』というレッテルでみているような気がする。

肝心のクラシック音楽も昔のロマン派的演奏から、古楽研究を積極的に取り入れた形に変わってきているので、『本物のクラシック』そのものが随分と揺れ動いているように思うのである。

他、参考文献としては、以下の記事を読んでみると面白いかもしれない。

〈アーティスト・インタヴュー集〉


これらのインタビューを前にして、「本物のクラシック音楽を評価出来ない」と上から目線でのたまえるツワモノはどのくらいいるのだろうか。私を含めてみんな「井の中の蛙大海を知らず」である。これがクラシック音楽の奥の深さである。

ループエンド派、ボールエンド派

最近、アマオケのアサンブル大会があって、そこで弦楽合奏をしたのだが、1曲終了後にE線を切った人がいた。そばに行って観察するとアジャスタがやはりループエンドであった。たまに演奏会でもE線を切る場面に遭遇することがあるが、大抵はループエンドを使っている。ボールエンドで切った人はあまりみたことがない。

そういえば、以前ループエンドをやめてボールエンドに変更したのだが、それ以来、E線が切れるというトラブルが皆無になっていることにも気が付いた。

まあ、単純にループエンドが悪いのかというと、もう少し言葉を足しておく必要があるかもしれない。

ループエンドで気をつけるべきは、ループをひっかけるフックの表面が磨かれていないと切れやすい。一度弦が切れてしまって、さらに新しい弦を取り換えても切れる場合は、あきらかにアジャスタに問題がある。このため工房にいって磨いてもらうということは念のためにもやっておいたほうがよいということ。

さらにフックが上下に動くタイプのものは固定しているものと比較して切れやすいということである。

あとこだわりの面でボールエンドがループエンドよりも音色が劣るという考えがあるしれないが、アジャスターには、一個300円レベルから5万円くらいの高級品まであるので、一概に形状によって評価するのは乱暴であると思われる。

個人的には、以下のものを使っている。E線が切れるとか、ビビリがあるとかいう人は参考にされるとよいであろう。音色的にも弦の振動を効率よく伝える材料であるチタン製なので、良いとされているものである。なおこの製品は、ループエンドとしても使える優れものである。


基本方針

アマオケは人の入れ替わりが多い。

辞めていく人の理由は様々。転勤になったとか、学業や仕事が忙しくなったとかであるが、少々残念なのが、曲についていけないからという潜在的理由がある。

特にバイオリンにおいては難しい曲が多く、速いパッセージも多いので仕方ないこともある。このためレッスンに通っている中級レベルの人でも一か月もしないうちにギブアップしていく人も多い。これが夢と現実との差ということであろう。

それとレパートリーの考え方がぜんぜん違う。

「同じ曲を選曲するのは音楽のマンネリを招くことでありけしからん。チャレンジする精神が大切だ。」

ご意見はごもっともであるが、団員の技量に格差があるので、新曲で手がいっぱいになり、後進の指導ができないことから疲弊を招いている原因になっていると思う。しかもチャレンジする精神というのが、いつのまにかプロを雇えという考え方になってしまうのが何かオカシイと思うのである。一方、
 
「同じ曲を何回も演奏していく必要がある。これが伝統となり楽団の基礎になるのだ。」

という考え方もある。師匠はこちらの考え方で弦楽合奏団を運営しているが退団する方がほとんどいない。ある団員さんに尋ねると、先生の指導がよく行き届いているので、いろいろ学べるから楽しいという返事が返ってきた。この方はいろいろなアマオケを渡り歩いてきた方なので説得力がある。

※バイオリンのレッスンを受けつつ長くやっている人は、向上心が強い人が多い。なのでステップアップできるかどうかというのは、重要な活動継続理由なのかもしれない。 

そういえば、印象的なことがあった。師匠は楽譜を忠実に演奏しないことがある。例えば、レガートが続いている難しいパッセージをデタッシェで弾くように変更したりすることもある。なぜ、そうするのか尋ねると、レガートで弾かせたいのはやまやまだが、そうするとアンサンブルが崩れるためと明確に回答された。つまり、オケの技量を考慮しての指導をしているのであった。

人によっては、クラシック音楽は楽譜どおりでないとダメだと怒る人もいるかもしれないが、最終目標が楽譜どおりに演奏するという明確な目標があるのであれば、こうした改版もありという考え方はよいと思ったのであった。

次回は、育てるオケ技術ということで書いてみたい気がする。

ドティラソ暗譜法

クラシック音楽サイトの掲示板には、よく以下のような挑戦状が書かれることがある。

『ミュージシャンAの方が、作曲家ωの方よりも天才だと思いませんか?』

そのミュージシャンAの楽曲を選曲したフィギュアスケーターが本番で転んでしまったのはご愛嬌でしかないが、敬愛する作曲家ωは、基本的に『ドティラソ』で曲を書いている。

それにしても、『ドティラソ』
ふ~む。『ドティラソ』
『ドティラソ、ドティラソ』

あれ?
あれ?あれ?
あれ?あれ?あれ?

なんか閃いてきたぞ。

以前、セキュリティについての講習会で、暗証番号は他人はわかりにくいが、自分にとっては覚えやすいものでないといけないと説明された。例が以下である。
【暗証番号の例】
$FUJISANHA$3776MDESU

これは、「富士山は3776メートルです」という短文を暗証番号にして、適当に$マークなどを挿入しておくというものである。これだと文字数の多い暗証番号になるし、英数字以外の文字列を挿入することにより、より安全で類推されにくく覚えやすい暗証番号になるとのことだった。

さて、このことをヒントに上記の質問を少しマニアックにアレンジしてみた。

作曲家ωはこの『ドティラソ』という便利な暗証番号を使って様々の楽曲を作っている。天才ミュージシャンAが血みどろの努力や感性を総動員して楽曲を生み出しているのに、それよりも遥かに才能が劣る作曲家ωはこれだけの暗証番号で、数百曲を作曲して、堂々と300年以上存在し続けているのである。実にけしからん話である。

書いている最中に、ある暗譜方法を考えつくことができた。作曲家ωの作曲技法を逆手にとる暗譜法『ドティラソ暗譜法』である。

さて、さて、暗譜といえば、うんざりしておられる方が多いと思われる。私も苦手であるが、師匠からは暗譜が得意と思われているが、単純な暗記は苦手である。たぶん、その差は、音楽を理解して覚えようとしているかどうかにあると思う。

このドティラソ暗譜法を使って暗譜する試みをやってみる。演習曲は作曲家ωの有名なメロディである。

【演習1】
以下の楽曲の階名で書かれたメロディを暗譜せよ。
調性はD-durで4拍子。固定ドの人は音名D Cis H A で考えれば良い。

│ド  ティ ラ ソ│

⇒ 簡単ね。

【演習2】
演習1を2倍の長さにした次の楽曲のメロディを暗譜せよ。

│  ド   ティ│      ソ│ 
│ド   ティ  │ラ ラ ソ  │


⇒ ド、ティ、ソの音がオクターブ跳躍しているだけ。

【演習3】
演習2のリズムを変更した次の楽曲のメロディを暗譜せよ。

 
│     │ド─ ─  │ ティ    │    │ ソ        │
│ド─ ─ ─│    ド│ティ (休)ティ│ララララ│ソ (休)(休)│

⇒ なんか見えてきたかな?
  
【演習4】

リズムを暗譜せよ。

 リズム


演習5
 
楽曲を暗譜し、曲名を当てよ。

オーボエ


続きを読む

ブーレーズを久しぶりに

最近、1月5日にブーレーズが死去したというニュースをみた。いや、これで本当に前衛が全部いなくなった。随分と長生きしていたのだな。若かりしころ、シェーンベルク、ウェーヴェルン、ベルク、メシアン、武満、クセナキス、リゲティを中心によく現代音楽というものを聴いていたものだが、このブーレーズ作品は、最後まで難解であり、理解の手が届かなかった。そうした意味でも聴くべき最終目標の作曲家の一人でもあったのだが、あるとき「ブーレーズはサリエリだ」という有名な評論を読んで、なるほどと思ってしまい、それ以来、あまり聴かなくなった。
 クラシック音楽というのは、非常に不思議な部分があり、作品がかなり有名であっても国内で初演されていない作品とか結構ある。それでも、岩城宏之とか若杉弘、そしてミュージック・ツゥー・デイを主催していた武満徹とか、高橋アキ、高橋悠治とか、積極的に現代音楽を取り上げてくれていたし、彼らなりに優れた作品を選んで、演奏してくれていたので、随分と新しい音楽の地平線の彼方にある音楽を聴かせてもらったものであった。

まあ、いろいろ聴いてきたわけだが、最後の砦みたいのがブーレーズであったわけである。

で、最近、また彼の作品を聴いてみることにした。作品が佳作なので、全曲制覇も問題ないのであるが、作品表をみて意外に感じたのが、随分と放棄した作品が多いのだなあ。まあこのへんは、ドビュッシーも放棄した作品が多いのであるが、これはフランスの伝統なのかと思ったわけである。

Wikipediaのブーレーズ楽曲一覧があったが、これで本当に全部なのかは少々疑問のところもある。

で、早速リベンジということで、12のノクタシオンから聴いてみた。現代音楽のピアノ曲はどうも好きになれないので、まずはオーケストラからだ。オーケストラの方は、原曲のピアノ曲から編曲で、ブーレーズが編曲したものが、1、2、3、4、7番がある。時間も結構短く18分程度である。

 

あれれ、こんなに聴きやすい音だったのか?? 武満とかメシアンが大丈夫ならまったく問題ないレベル。音楽も感覚的で結構面白い感じ。まあ、今の現代音楽は、彼の音楽のコピーみたいなものだからなあ。昔はこのレベルが前衛だったのだろうなあ。何回か聴くうちに、原曲のピアノの方も聴いてみたのだが、この原曲が、このオーケストラ曲になるとは、驚異のレベル。時間も随分と拡張されている。ピアノ曲をここまでの作品に編曲するとは、ラヴェル先生以上の才能ですなあ。

それと、ここで考えておくべきことは、作曲された当時と、今とではオーケストラの技術的レベルが随分と進化しているので、より精密に音楽を再現することが可能になって、ブーレーズのやりたかったことが明確になり、その分、わかりやすくなったのだろうなあ。

面白い。またしばらく彼の作品を聴いてみることにするか。

お金を稼ぎに来ているベルリンフィルなんかも、オーケストラの技量をはかる上でもこのレベルの作品をやってほしいよね。

●追記

この作品を聴いていると、B.A.ツィンマーマンとか、なぜか聴きたくなって久しぶりに聴いてみたが、ブーレーズ以上に天才なのじゃないかな。時代が彼に追いつくには、今のレヴェルのオーケストラ技量が必要なのだろうなあ。



 
記事検索
メッセージ

名前
本文
タグ絞り込み検索
最新コメント
QRコード
QRコード
プロフィール

ららトーク

タグクラウド
QRコード
QRコード