年末、時間ができたので、新垣隆さんの新作を聴いてみた。
あの事件以来どうなったのか、心配はしていたのだが現役を続行ということで、ほっとする。
さて、楽しみしにしていた新アルバムの以下を聴いた。
うーん。うーん。うーん。
なんかイメージと全然違う。前作の交響曲「HIROSHIMA」にあった複雑さや仕組みの面白さ、破天荒な時間軸感覚とか全部抜けてしまって、ぜんぜんおもろしくない。私のクラシック音楽の作曲家に対する思いは、
ということである。これではまったく気の抜けたサイダーだ。
構造的に仕組みが単純すぎるし、オーケストレーションも平凡すぎる。意外性もまったくないので聴いていてかなり苦痛を感じた。これだったら他ジャンルの才能があると世間が煽てているミュージシャンが交響曲やピアノ協奏曲を書いてみましたレベルに過ぎない。
私は、現代の作曲家が、無調で書くべきとか全然思っていないが、安易に過去の技法に頼った作風はもっと嫌いである。新ロマン主義な現代音楽が劣化していった歴史をみてきたからなおさらにそう思う。
なので、一般の人が理解できないレベルの作品でも、何かを感じさせる作品や、聴いてムッとするような何かを持つことが、作曲家としては大切なのだろう。そういう意味では、藤倉大の作品とかは、好きではないが好感がもてる。彼は何かをやりたいと思う気持ちが大きいからである。
今回は、リクエストがあってわざと平易すぎる作風にしたのかもしれない。でも、私が新垣さんに望むのは、世界で最高の作品を書いてやろうとする圧倒的な力をもった作品である。少なくとも師匠の三善晃の作品を完全に超えてやろうという野心的なものを期待する。
とは言え、新垣さんは、何かの枷とかストレスをかけた方が良い作品がかけるショスタコーヴィッチのようなところもあるのだろう。制約の多いオペラとか演劇作品だとうまくいく気がする。
と書いてしまったが、当然、怒る人もいるだろうが、以下の作品を聴いていただければ、私の言っていることを理解してくれる人もいるであろう。クラシックの作曲家は誰よりも志が高くなくては、100年以上演奏されるようにはなりません。打倒ベートーヴェンであって、妥当ベートーヴェンでは困るのである。
●参考作品(やりたいことをやり尽くしている交響曲とピアノ協奏曲)
松村禎三:ピアノ協奏曲第1番
松村禎三:ピアノ協奏曲第2番
松村禎三:交響曲
三善晃 :交響三章
三善晃 :ピアノ協奏曲
矢代秋雄:交響曲
矢代秋雄:ピアノ協奏曲
一柳慧 :ベルリン連詩
一柳慧 :ピアノとオーケストラのための「空間の記憶」
武満徹 :アステリズム
柴田南雄:交響曲『ゆく河の流れは絶えずして』
八村義夫:錯乱の論理~ ピアノとオーケストラのための
西村朗:2台のピアノと管絃楽のヘテロフォニー
あの事件以来どうなったのか、心配はしていたのだが現役を続行ということで、ほっとする。
さて、楽しみしにしていた新アルバムの以下を聴いた。
新垣隆:交響曲「連祷」- Litany-
ピアノ協奏曲「新生」
流るる翠碧(東京室内管弦楽団/新垣隆)
うーん。うーん。うーん。
なんかイメージと全然違う。前作の交響曲「HIROSHIMA」にあった複雑さや仕組みの面白さ、破天荒な時間軸感覚とか全部抜けてしまって、ぜんぜんおもろしくない。私のクラシック音楽の作曲家に対する思いは、
「やりたいことをやり尽くせ」
ということである。これではまったく気の抜けたサイダーだ。
構造的に仕組みが単純すぎるし、オーケストレーションも平凡すぎる。意外性もまったくないので聴いていてかなり苦痛を感じた。これだったら他ジャンルの才能があると世間が煽てているミュージシャンが交響曲やピアノ協奏曲を書いてみましたレベルに過ぎない。
私は、現代の作曲家が、無調で書くべきとか全然思っていないが、安易に過去の技法に頼った作風はもっと嫌いである。新ロマン主義な現代音楽が劣化していった歴史をみてきたからなおさらにそう思う。
なので、一般の人が理解できないレベルの作品でも、何かを感じさせる作品や、聴いてムッとするような何かを持つことが、作曲家としては大切なのだろう。そういう意味では、藤倉大の作品とかは、好きではないが好感がもてる。彼は何かをやりたいと思う気持ちが大きいからである。
今回は、リクエストがあってわざと平易すぎる作風にしたのかもしれない。でも、私が新垣さんに望むのは、世界で最高の作品を書いてやろうとする圧倒的な力をもった作品である。少なくとも師匠の三善晃の作品を完全に超えてやろうという野心的なものを期待する。
とは言え、新垣さんは、何かの枷とかストレスをかけた方が良い作品がかけるショスタコーヴィッチのようなところもあるのだろう。制約の多いオペラとか演劇作品だとうまくいく気がする。
と書いてしまったが、当然、怒る人もいるだろうが、以下の作品を聴いていただければ、私の言っていることを理解してくれる人もいるであろう。クラシックの作曲家は誰よりも志が高くなくては、100年以上演奏されるようにはなりません。打倒ベートーヴェンであって、妥当ベートーヴェンでは困るのである。
●参考作品(やりたいことをやり尽くしている交響曲とピアノ協奏曲)
松村禎三:ピアノ協奏曲第1番
松村禎三:ピアノ協奏曲第2番
松村禎三:交響曲
三善晃 :交響三章
三善晃 :ピアノ協奏曲
矢代秋雄:交響曲
矢代秋雄:ピアノ協奏曲
一柳慧 :ベルリン連詩
一柳慧 :ピアノとオーケストラのための「空間の記憶」
武満徹 :アステリズム
柴田南雄:交響曲『ゆく河の流れは絶えずして』
八村義夫:錯乱の論理~ ピアノとオーケストラのための
西村朗:2台のピアノと管絃楽のヘテロフォニー