KV216のマンゼ版と先生の持っているカール・フレッシュ版のあまりのフレージングの違いに閉口し、カール・フレッシュ版を買い直すことにした。ボーイングがまったく違うので、レッスンのたびごとに修正されるのは、ちょっとしんどいこと。臨機応変でいきたいところだが、ああ、悲しきかな初学者。一つ覚えたボーイングを修正するのは、とても大変なことなのだ。

クラシック音楽の場合、楽譜通りに弾くということは、良く言われていることだが、あながち間違いではないとしても、もう少し突っ込んで言うと、クラシックの演奏は版を選ぶというところから始まる。プロになると、複数の版を研究したり、作曲家のオリジナル原稿のファックシミリを確認したりして演奏しているのが普通のこと。こうして出来上がった楽譜を自分のオリジナルの楽譜として演奏しているのであり、楽譜通りに書かれている
フレージンングをそのまま演奏するということは、ほとんどない。あるとしたらコンクールでの演奏であろう。ただし、音程は変更してはいけないというのはルールかもしれない。

ということで、面白くなってきたのでマンゼ版、
カール・フレッシュ版、を比較してみた。
マンゼ版の方は、モーツアルトの書いた楽譜を忠実に編集するという意図がみられる。
カール・フレッシュ版は、バイオリニストの視点でフレージングが細かく書いてあることである。もちろんモーツアルト自身がそのように書き込んでいるわけではないのだが、長年の伝統的なスタイルが集積されたものと考えてもらってよいと思う。

●マンゼ版
 スタッカートではなくスタッカティ
シモになっているのが古楽らしい感じ。

  KV216第一主題│マンゼ


●カール・フレッシュ版
これは従来のクラシック・スタイルのフレージング。ご丁寧なことにフレージングごとに区切り記号(/)も入っている。スラーの付け方が、マンゼ版と大きく違うことがわかるであろう。
なお、47小節にでてきる装飾音だが、フレッシュ版では、モーツアルトの書いた装飾音符を演奏しやすいように翻訳して楽譜に書いてあるが、マンゼ版では装飾音符をそのままにしている。この装飾音って、翻訳してしまったら音楽的なニュアンスを無くすのではないかと思うのだがどうなんだろう。少し文献を読んでみる必要がある。

KV216第一主題│CF

 第一主題のフレージングが、ここまで違うと音楽が発展の仕方がまったく違うようになるのだが、これが、現代の古楽の成果として新鮮なモーツアルト像を提示していることに繋がるのであろう。
実際にマンゼやカルミニョーラの演奏は実にフレッシュである。古楽ではこうしたスタッカートの表現にとてもこだわる傾向にある。
 私は、モーツアルトはあまり好きな作曲家ではなかったのだが、それは退屈な演奏によるものが大きかったのだろう。こうした最新古楽の生き生きとした演奏に触れることによって興味がわいてきた。 
とはいえ、オールドスタイルでの演奏法をマスターすることも重要であろうから、レッスンではこちらを尊重していく。