しばらく癌で闘病中であった井上道義(ミッキー)がサントリーホールに戻ってきた。それも彼らしい最先端のプログラムで。もしかしたら復帰は難しいかもと、オケの先生も言っておられたのだが、いざ、ステージに立つと、さすがミッキーである。いつものミッキーダンスと、曲間のトークも健在だ。音楽は、喜びに満ち満ちた力強いものであった。正直、言ってほっとした。しばらくは健在でいてくれることと思う。

ミッキー、あなたのいない間に、日本に寿司を食いに来ただけの海外の評論家どもが、日本のオケは、積極性が足りないなどと、上から目線でいちゃもんをつけまくって吠えていたが、この日本で、最先端のクラシック音楽を聴かせてもらえるのは、やはりあなたしかいない。その力で聴かせてほしい。

そうした願いが、実現したのが、以下のプログラムである。

どうだ。海外の評論家ども。こんなプログラムは海外オケでは、とてもじゃないがやれんだろう。これが日本のクラシック音楽というものだ。

日時2015年1月29日(木) 19:15 開演

武満徹: 地平線のドーリア
吉松隆: トロンボーン協奏曲『オリオン・マシーン』 op.55
リゲティ: ロンターノ
クセナキス: ノモス・ガンマ
指揮井上道義
出演トロンボーン:山本浩一郎
新日本フィルハーモニー交響楽団
とここまでは、威勢良く吠えてみたが、海外の評論家からいちゃんもんを付けられても仕方ない部分もあったのは事実。この点をカイゼンしていくのが、メドイン・ジャパン・オーケストラである。

●地平線のドーリア

この曲は、日本を代表する傑作中の傑作であり、聴くたびごとに、その極限までに切り詰めた音響に感動する。まるで、冬の枯れ草のようだ。その枯れ草を冷たい風がそよそよと吹いて、緩やかに揺らす感じが実に和風の庭園を思わせる。さて、気になった点は、演奏者がとても若いので、多分、日本の伝統音楽をあまり聴いてないのかもしれないが、妙に拍があるように感じ、外人が演奏した武満のようになっているところだ。妙にデジタルな部分が気になった。あと、歌舞伎の音楽でやるようなビシバシと弾く、叩く部分は、もう少し積極的に。こうした音楽は、暗譜するくらいに演奏し、古い世代の演奏家が、若い演奏家に伝えていくべきものを継承させる必要があるのだと思う。武満の音楽は、楽譜に書かれていない部分も重要である。

●オリオン・マシーン

地平線のドーリアのあとで、この曲を聴くとなんと甘ったるい音楽なんだろうと思う。吉松隆に足りないのは、クラシック音楽としてのキリッとした部分とか、深みが不足している点であろう。まあ、そうしたものを求めていないとすれば、演奏者の方が考える必要があるかも。特に打楽器は、ジャズ的要素に教養が必要で、リズムがのりのりでビシバシと切り込む鋭い音が必要なのだと思う。まあ、サントリーホールはよく響くので、ビシバシとした音は実際には難しいのかもしれない。

さて、トロンボーンは、急遽代役となったとは、思えないくらいの自由闊達の演奏で、特にカデンツァは、アメリカンな要素や、パフォーマンスがあって面白かった。このパフォーマンスによって観客席からも笑い声が聞こえたのは、現代音楽では珍しいこと。この曲に関しては、終楽章が少し短すぎるのでないのかとずっと思っていたが、長いカデンツァのおかげで、丁度よいバランスに仕上がったのはよかったと思う。

●ロンターノ

リゲティの作品のなかでも有名らしいのだが、この曲は初めて聴いた。不勉強を恥じる。旋律も、リズムも存在せず、音響だけで構築する音楽。微妙なテクスチュアが秀逸。明るい響きから、どす黒い響きまで、徐々に変化していく。初演されてから随分と経過しているが、今聴いてもとても斬新な響きである。
曲の終わり、非常に低い微弱な音の長いロングトーン。最初は空調の音かなあと思ったのが、このような音って、CDでは取り切れないのではないかと思う。やはり実演は聴いておくべきなのだろうね。

●ノモス・ガンマ

今回の演奏会の目玉。まさか生きているうちに聴けるとは思っていなかった。指揮者を中心に円を囲むオーケストラの特殊配置。そのため観客席に背を向ける配置になる。その外側に打楽器群。打楽器群は第二次世界大戦中の機関銃、大砲の音を模倣しているらしい。構造らしい構造は存在せず、銃弾の中をあちこちを逃げ回るような各楽器群。弦楽器もボーイングもへったくれもない。さらに、この曲も終わり方が秀逸。終わる瞬間の音とどうじにオーケストラの全員が観客席を振り向いて立つ。なんか、この瞬間、すべての兵士から銃を向けられたような錯覚に陥ってしまった。さすが、天才高橋悠治の師匠の作品だけある。


ということで、色々と楽しめた演奏会であった。今年は、ミッキーの演奏会は注目しておこう。