バイオリンと録音と

クラシックのコンサート、バイオリンの演奏方法、バイオリンのグッズについての記事多し。他、楽譜(Lilypond , Sibelius)、和声学、作曲、DTM関連を取り扱っております。

クレーメル

『2本のバイオリンのための組曲』を登録しておきました。
https://drive.google.com/open?id=1ynOSxS_4CD97qe05fArVmIE9hvtV6TD5

Preghiera再び

本日、予約注文していたクレーメルさんのCDが届いたの早速聴いてみた。

最近は、ネットで聴いているので、CD購入は久しぶりのことであるが、もっとハイビットレートな音源で聴きたくなるような静寂な美しさの演奏であった。

PreghieraのCD


Preghieraについては、何回かこのブログで熱く語っているので重複したことはかかない。やはりこの曲は、バイオリニストの定盤レパートリーにすべき作品なのだと確信した。ただピアニストの腕は相当にすごくないといけないし、それに負けない音色をもつバイオリニストならという条件付である。

今回、びっくりしたのは、このダリール・トリフォノフというピアニスト。今までのラフマニノフの演奏i家はなんだったのだろうと思うくらい次元の違うピアニズムで、特にスラーのフレージングが究極に美しい。ミケランジェリすらも霞むくらいの指コントールである。あまりにも美しい独特な響きにより普通のピアノでないことはすぐにわかったので、調べてみると、ファツィオリF278をつかっているらしい。このピアノメーカーはクラシックマニアなら誰でもご存知のはずだが、大型のコンサートホール専用で4本ペダルのファツィオリF308より小さいコンサートホール専用のグランドピアノである。こちらは通常の3本ペダルである。でもこのあまりにも美しい弱音のサスティーンはもしかしたら、第四ペダルの特注かと思ったしだい。

サイトの説明によると

このペダルはファツィオリによって開発され、特許も取得しております。従来のシフトペダルは音色を変化させるだけですが、このペダルは音色を変えることなく音量のみが小さくなります。これはハンマーと弦との距離が近くなり、なおかつ鍵盤の深さも浅くなることから生まれます。これにより速いパッセージとグリッサンドが可能になります。

*F308は通常の3本ペダルと4本ペダルの2つが標準装備ですが、他のモデルはオプションにより設置することが出来ます。

 まあこの仕掛けを使わなくとも、トリフォノフの超実力なら全然問題ないが、この弱音を出せるのは世界的にもほとんどいないのではないのかなあ。あるいは調律師のArno Stockerさんの技術がものすごいのかもしれないが、一つのピアノの完成形である。

ドビュッシー、ラヴェル先生、ラフマニノフのプログラムで来日してくるなら最優先で聴きにいきたいものである。コンサート会場としては、 フォッオリのおいてある豊洲シビックセンターホールがよいのだろうけど。

●追記
 このCD自体の録音はよく頑張っているのだと思うのだが、日頃からバイオリンの生音に接しているので、クレーメルさんのバイオリンは録音するとなんでこんなにやせるのかと思ってしまう。弱音が収録しきれていないので音が鋭くなるのかふっくら感もなくなる傾向にある。24Bit 96KHzでサラウンドが必要なのかなあ? もっと蕩けるような繊細さでアマティは鳴っているはずなのだが収録しきれていない。やはり生のコンサートホールで聴かないとクレーメルさんアマティの本物の美音は聴けないのであろう。

 それにCDだと、録音編集の影響を受けるのか予定調和の世界になりさがってしまう。演奏中に誰ともアイコンタクトせずに我が道をいく演奏、合わさずの美学による緊張感がなくなってしまう。音楽が突然にはじまってしまうコンサートホールでのキリキリとした凍結した緊張感を味わうには、生演奏にかぎる。特にクレーメルさんとか、ムローヴァのような演奏家はそうですよね。

●追記
 こんな記事を見つけました。フォッオリはマイ楽器なのかなあ。それならどこのコンサート会場でもOKか。ピーターゼルキンもそうでが、こだわるピアニストは持ち込み楽器を使うね。

 ダニール・トリフォノフ 2015年日本ツアー バックステージ
 

作品を彫り込む力 その2

本日もサントリーホールへ

昨日の湯気が沸き立つような演奏とは変わり、今日は表情が穏やか。曲の難易度もグッと下がり馴染みの曲が並ぶ。こうした有名曲でクレーメルがどう弾くのか、新パートナー襲名のリュカ・ドゥバルグの腕の見せ所はと興味深々である。客も昨日よりは随分と入っている。
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ルカ・ドゥバルグ(ピアノ) デュオ・リサイタル 2016
日時 2016年6月7日(火) 19:00 開演

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ ト長調
ラヴェル:夜のガスパール
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番 ト長調 op.27-5
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調

アンコールはイザイの子供の夢
まずはラヴェルのバイオリン・ソナタから。クレーメルの独特の速いアタックと弓圧の素早い抜き方、フレーズの間の取り方やフレーズ間の意外性の妙が楽しめた。ドゥバルグの方も楽しんで弾いている感じである。クレーメルの注文通り、あわさずの美学を貫いているので、ところどころ合わなくなるが、これがクレーメルの音楽の作り方の基本である。クレーメルは伴奏者をちらりとも見ないわが道をいくタイプの巨匠なのである。

次のピアノソロは、ドゥバルグの名刺代わりの曲らしく、第一曲と第三曲は随分と速く弾きつつもシルクのような滑らかさであり、第二曲はホールの余韻を考慮したゆったりとした演奏であった。個人的には、音質的に硬質の方が好みであるが、今回はバイオリンとのデュオということでピアノの調律がそうなっているのであろう。ピアノのソロコンサートのときは、もっと輝いた音色でなると予想できる。

後半は、クレーメルの十八番、イザイの無伴奏バイオリンソナタ。この曲はふつうのバイオリニストの腕では、単なるコンクール・ミュージックのように、NHKアナウンサーが棒読みしているようにしか聴こえないのだが、さすがに本家である。音色の取り方が、歌わせ方が、非常にいなかぽく、民謡的に弾いていたり、微分音的な音程を非常に微妙にコントールして弾いている。なにかクライスラーが弾いているような錯覚を覚える部分が多々あった。

最後にフランクのソナタ。もう定番中の定番曲で、誰の演奏を聴いてももはや形骸化して感動することはないのであるが、さすがにクレーメルの解釈は斬新である。まず冒頭のバイオリンが出てくるところからして、まったく聴いたことのない出だしになっている。曲の勘所をとらえた演歌歌手のように実に粋である。書道の達人が、絶妙の筆遣いで字をかくような勢いと繊細さが同居しており、音の消し方が実に絶妙である。

一方、デュバルグの方も非常に安定した技術で、伴奏和音系をシルクのように滑らかに弾いており、そのうえに乗っかっているクレーメルはさぞ気持ちのよいものであろう。特にピアニストにしても、非常に演奏が難しいといわれている第二楽章もまったく余裕で弾いている。恵まれた大きな手はうらやましいものがある。

最終楽章も両名ともに、あわさずの美学を貫いて好きなように弾いてくれたおかげで、各旋律が自由で、楽しげに流れていく。これは川の流れをみているように、あるときは岩に水が当たってしぶき、川底の深いところでは小さな渦がまいているかのような、自然な光景だ。これこそが自然体音楽であり、クラシック音楽の本来の姿である。ただ、一番最後の和音が二人のタイミングが完全にずれてしまったのはご愛敬。こうしたトラブルも必然のように感じてしまうのが不思議だ。それほど高次元のアンサンブルをやっているのである。

もちろん、これは単なるコンクールミュージックであるならば落第なのであるが、真のクラシック音楽を求道する愛好家にとっては全然問題ないのである。利休のかけた茶碗のようなもので、それもそれで味があるのである。

そして最後は、イザイの『子供の夢』ある。こうした比較的難易度の低い小曲を、聴衆にうならせるように聴かせるのは大変難しいが、フランクのソナタでやったように独特のフレーズ感と音消しの術で、こんなに素敵な曲だったのかあらためて驚いたのであった。

●補足

 今回は、クレーメルの弓さばきに注目して聴いていたのだが、従来の奏法よりもより高度に進化しているのに驚いた。特に忍法音消しの弓さばきは、完全な脱力ができていないとできない、バイオリニストとしての究極の奥義のようなものである。バイオリンの仙人のようなこの究極の弓さばきによって、非常に長い全音符がまるで雲や霧のように動くさまは、クレーメルしかできない技であろうなあ。テツラフやイザベル・ファウストも70歳近くになったらこうした奥義を身につけることができるのか楽しみであるが、そのときは私は死んでいるだろうなあ。

 ドゥバルグの方は、ピーター・ゼルキンによく似た部分があり、楽曲解釈、分析力がずば抜けているが、それを知識的に表現するのではなく、憑依させて演奏するタイプとみた。他、クレーメルのような巨匠と共演を続けることによって、急激に進化してくる怪物級の演奏家になるとみた。クレーメルはこの怪物を育てる意味でも共演を続けていってほしいと思ったのであった。






作品を彫りこむ力 その1

本日、クレーメルの演奏を聴いてきた。

久しぶりに頭から湯気が出てくるくらいの濃厚な演奏会であった。
さすがにクレーメルである。彼がバイオリン界のトップをずっとキープしている理由がよくわかった。音楽をやっている次元が他の演奏家とは隔絶している。そして今回のサプライズは、ルカ・ドゥバルグという若き天才ピアニストである。卓越しまくったピアノタッチも超絶ながら、この人の音楽性は震えるくらいの素晴らしいもので、あのピーター・ゼルキンのような憑依性も持っている。特にクレーメルの演奏を聴きながら、自分自信を鼓舞しつつ、作品ののめり込む姿は凄まじいものがあった。
このことによりショスタコービッチのバイオリンソナタは、まるでショスタコービッチがピアノに憑依して演奏しているかのような世界を実現させていた。

ピアニストは自己顕示欲が強すぎる人が多いので、ピアノパートの重要性が認識できずバイオリンとの共演をぶち壊すことになりがちだが、 ルカ・ドゥバルグはクレーメルをずっと見て聴いて演奏している。でも大人しい伴奏者ではない。主張するべきところは強力に主張してくるので、その相乗効果で、その表現がとてつもなく難しいバイオリンソナタが別次元の輝きを放っていた。これ以上の最高の演奏は、おそらく聴けないのではないか。それほどの深淵な世界に浸っている。

凄すぎるだろう。
サントリーホール
日時2016年6月6日(月) 19:00 開演

ワインベルグ: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 op.126
メトネル: ピアノ・ソナタ第1番へ短調 op.5
ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン・ソナタ ト長調 op.134
ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
ピアノ:ルカ・ドゥバルグ

昨晩は、演奏会の打ち上げの飲み会でクレーメルについても仲間と議論があったが、やっぱり生演奏を聴いて評価している人がまったくいなかったのは寂しい気がした。音楽評論家で彼の音楽の本質を理解できる能力をもっている人はほとんどいないし、名声だけのうわべの評価だ。ましてCDなんて、クレーメルの音の成分が1/10 も入っていないし、そもそも音が汚いし硬い。こんなんでは、正確な評価はできない。ホールで聴くアマティは、これこそが最高のバイオリンの音であると確信できる絶対的美音であり、こういう音を生で聴いてこそのバイオリンマニアである。

アンコールで演奏されたラフマニノフのピアノ協奏曲2番のクライスラー編曲は、絶美の境地であった。これを知らずして名器の音を語るなかれである。

ルカ・ドゥバルグのラベルも聴きたいし、
これは明日も出陣せんといかんだろう。チケットは急遽取っておいた。

 

クレーメル VS テツラフ

前回のクレーメルの演奏会が、あまりにも素晴らしいものであったので、今回も演奏会に行くことにした。曲目にバルトークの無伴奏バイオリンソナタがあったので、大震災後にもかかわらず駆けつけてくれた2011.5.15伝説のテツラフの超名演と比較したくなったからでもある。

まず、1曲目は、 バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番である。

クレーメルの感心することは、ステージにあがってチューニングせずにすぐに演奏をはじめるスタイルにある。このところは、ムターも同様である。古楽器の場合は、調弦が狂いやすいので仕方がないが、モダン楽器の場合はこうあってほしいと思う。

演奏の方は、素晴らしいやわかな美音で、アマティの良さを十分に出している。ボーイングが軽いのでホールによく届く。余韻の残し方は、この人ならではの名人芸である。特にアップボーのときに特徴的な音を残す箇所が多い。ただ少し気になったのは、若干E線がつまっている気がする。前回聴いたときにはもっと高域へ音が伸びていたはずなのだが、これは楽器の調整の問題かなあ。

2曲目は、グバイドゥーリナのリジョイスである。
正直、私はこのグバイドゥーリナという女流作曲家が、なぜこれほどまでに評価が高いのかわからない。部分的にわかるのは、リジョイスという部分のパッセージが各楽章で自由に展開されているという技術的なことだけである。おそらく日本人の感覚にない音楽的要素があるのだろうとは思う。たとえば、教会の窓の外から、雨が降って、風が吹いている景色を見ている修道女までは見えるのだが、この修道女が何を考えて、外を見ているのかわからないという感じである。ところがこの名画の記号のようなイメージを欧米人なら理解できるというようなものかもしれない。

演奏の方は、前回の演奏会で凄腕を発揮していたギードレ・ディルヴァナウスカイテがここでもよい仕事をしていた。クレーメルよりもこちらを注目して聴いていた。おそらく世界でもトップレベルの演奏家なのだろうと思う。トッパンホールなどに来るのであれば聴いてみたいところである。

ここで休憩で、第2部へ。

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番 ト長調op. 27-5

イザイの無伴奏が今日、重要レパートリーとなっているのは、クレーメルのおかげである。その本家の演奏が聴けるのだから、こんなにうれしいことはない。この曲は、深刻な内容の多いイザイの曲のなかにあって最も喜びに溢れた曲である。遊びの部分も多く、クレーメルは今の気分に一番合っているような気がする。

最後は、待ちに待ったバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタである。

この曲は、非常に演奏が難しく、完璧な技術をもっていないと、ガリガリ、ギーギーの曲になってしまいとても聴いていられない状態になる。そのハイテク技術の上に深い内容を盛り込む必要があり、バイオリニストにとってハードルがとても高い難曲中の難曲である。ところが、この曲をテツラフは、まるで弦楽四重奏曲を弾いているかのように各和音にあるパセージを浮き上がらせるという神業をやってのけたばかりでなく、何かを伝えたいとする熱いメッセージのある演奏であった。
今回のクレーメルはどうであろうか。
クレーメルもやはり世界最高峰といわれるだけのことはあり非常に滑らかに演奏で、これも驚異的なレベルである。ただ、聴衆に届けるメッセージというものはあまり感じらなれかった。もちろん、クレーメルにこういうことを期待してはいけないし、天才らしく自由奔放にやってくれて良いのであるが、この曲においての最高はテツラフであることを再確認したのであった。

こうした最高峰の演奏を聴いていると、バルトークにはあと5曲無伴奏バイオリンソナタを作ってほしかったと思う。メニューインやシゲティがもっと早くバルトークに出会っていればなあ。



サントリーホール
日時 2012年11月5日(月)19:00開演

曲目
J. S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003
グバイドゥーリナ:リジョイス(喜び)! -ヴァイオリンとチェロのための
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番 ト長調op. 27-5
バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz117

ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
チェロ:ギードレ・ディルヴァナウスカイテ

クラシック音楽の再創造

本日、クレーメルの演奏会に行ってきた。

クレーメルといえば、世界最高のという冠が付くバイオリニストであるが、その看板に偽りなしであった。クレーメルのバイオリンの音は、まったく弦楽器そのものの音である。弓が弦の振動を邪魔していない。風が吹いて弦が勝手に振動しているかのごとくで、まったくコントロールされいる感じがしない。軽さや重さも自在、音量の加減の実に自然。無理な弾き方をまったくしていない。これだからこそ、65歳になっても十分にトップをキープできるのであろう。

プログラムもまた斬新であり、創造的である。ここ数年の彼のテーマは、クラシック音楽の再創造にあると思っているのだが、今回の演奏会は、まさにそれであった。

特に素晴らしいかったのは、グレン・グールドへのオマージュ」―J. S. バッハの作品による現代作曲家作品集であった。

よくクラシック音楽は終わったとかいう人がいるのだが、これを聴くと新たな地平線が示されているのがわかる。クラシック音楽の可能性もまだまだあるのだ。

まず冒頭からクレーメルがソロで静かに弓を動かす。はっとする。余韻がやけに長いのだ。サントリーホールといえど、これは凄いロングエコーだ。ステージをよく見てみると、クレーメルに合わせて、ヴィブラフォン奏者が、エコーを付けていたのだった。他にもヴィブラフォンの音板の端を弓こすった音なんかも出現。擦れんばかりの弱音のバイオリンとマッチし不思議な空間が創出されていく。

結構長い時間のバイオリンとヴィヴラフォンのデュオであったのが、さらに驚きは、弦楽合奏が入ってきた瞬間であった。

何だこれは!!!

超精密な弦楽アンサンブルという次元を超えて、各奏者が自発的に音楽を演奏している。クレメールもこれだけ複雑なテクスチャーにも関わらず、一切指揮しようとしないし、奏者への目配せもなし。まるで、クレーメルの分身が各ポジションに配置されたような、超絶なるアンサンブルが展開されている。この人たちは何なんだ。全員がソリストなのか。いやソリストでないとここまでのアンサンブル不可能。楽曲の方も、そうしたランダムに奏者を演奏されているように指示されており、あちらこちらからソロが聴こえるのだ。中島敦の「名人伝」にある有名な「不射の射」状態に全員がいる。

各奏者ともに
いつでもソロやっていいですよ。クレーメルさん状態。


「神憑っているではないか!!!」

でもこれだけで驚いていたのでは、駄目なのであった。

舞台上にあるノートパソコンだが、これはいつ発動されるのだろうか。一体何なのだという期待感が楽章ごとに深まっていく。そして、最後に発動されるときが来た。リターンキー・オン

何と、グールドの伝説の名演奏であるゴールドベルク変奏曲のアリアが再生されたのだ。

それに合わせてクレメールと各ソリスト達が合わせていく。クレメールの最後の弱音が息も絶え絶えに終わった瞬間の静寂。まさに天上界の音楽を聴いたような錯覚を覚えた。絶句である。

これが、現代の作曲家の底力であったのだ。音楽の力はそこに強く生きていたのだ。認識した。
日本の若手作曲家は、クレーメルのように音楽の可能性をずっと信じてよい。そこから生まれてくるものがあるのだ。





ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ
サントリーホール 
日時 2012年11月3日(土・祝)14:00開演(13:20開場)
曲目 「グレン・グールドへのオマージュ」―J. S. バッハの作品による現代作曲家作品集
ミェチスワフ・ヴァインベルク:交響曲第10番イ短調 op.98
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 op. 131 
          (クレーメル&キーシンによる弦楽合奏編曲版)
出演 ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
室内アンサンブル:クレメラータ・バルティカ


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