バイオリンと録音と

クラシックのコンサート、バイオリンの演奏方法、バイオリンのグッズについての記事多し。他、楽譜(Lilypond , Sibelius)、和声学、作曲、DTM関連を取り扱っております。

ブルッフ

『2本のバイオリンのための組曲』を登録しておきました。
https://drive.google.com/open?id=1ynOSxS_4CD97qe05fArVmIE9hvtV6TD5

全国アマチュア協会ご推薦交響曲

『全国アマチュア協会ご推薦交響曲』そういうものがあれば、その最有力候補としたいのが、ブルッフの交響曲である。ブルッフの交響曲は、3曲あって その第1番は、ブラームスに献呈されている。それに興味をもって全部聴いてみた。

交響曲第1番 変ホ長調 作品28 1868年完成 ブラームスに献呈
交響曲第2番 ヘ短調 作品36 1870年完成 ヨアヒムに献呈
交響曲第3番 ホ長調 作品51 1882年完成



スフォルツァンドとリンフォルツァンドの違いを書き分けている作曲家であるので、さぞ凄いかもという期待で聴いてあるのであるが、その出来栄えには驚いた。ブラームスの交響曲と比べても遜色ない出来栄えのように思えたのであった。しっかり書かれているし、無理のない展開と楽曲構築力。それと豊かな叙情性。少なくともドボロザークやチャイコフスキーの交響曲よりは格上の気がする。これだけの交響曲が、なぜ演奏されてきていなかったのが、実に不思議である。

特に交響曲の第2番はよい。

まあ、こう思うのは、私の勝手かもしれないので、ネットを調べてみると、意外にもブルッフの交響曲はかなり評判が高いのある。そもそも楽曲の質が高いので当然なことであろう。ただ、反論も当然あることであるが、代表的なのは、

「演奏されない曲には理由がある。」

というお堅いものである。一見説得力のある言葉に思えるが、こういうことをいう書く人は、ほとんどクラシック音楽を偏食的にしか聴かない古い世代の人の言葉であることは、だいたいの経験からわかっている。最近の若いクラシックファーンというのは、ネット時代の申し子ということもあり、NMLなどを屈指して、多くの曲を聴いているので、このような意見は、一笑に付される。それよりも、早く生で珍しい音楽をどんどんと聴いてみたいという健全な方向にあることは、嬉しいことだ。

そこで、アマオケの視点において、

「演奏されるべき理由がある。」

ということで前向きに考えてみると、その編成が理想的であるという点をあげることができる。

ちなみにアマオケの選曲には、いつも悩むのであるが、二管編成の交響曲で、標準スタイルの編成のものは少ないので、ブルッフの交響曲は、その点でも大いに推薦できる。下記の通り、理想的な編成だ。

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、
ホルン4、トランペット2、トロンボーン3(第3番には、チューバが入る)
ティンパニ、弦五部

この黄金の編成での交響曲は、通常レパートリーとしては、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、シベリウス、シューマン、シューベルトくらいしかない。特にトロンボーンが活躍できる曲は限られているのである。これは本当に嬉しい編成だ。

※ブルックナーの場合は、ほぼ二管であるが、弦楽器の数は三管編成の規模になる。
 意外にもベートーヴェンは5番のみ(6番はトロンボーンの数が2本、9番は合唱付なので除外)であるし、モーツァルト、ハイドンはトロンボーンは入らない。

これは非常に美味しい。知名度などというものは、どんどんと演奏することによってどうにでもなるので、是非とも演奏機会が増えることを望みたい。


 

ブルッフは不可思議

それにしてもブルッフのバイオリン協奏曲第1番のスコア譜はとても不可思議である。

作曲家の直筆譜面で記載されている強弱記号と出版譜面が大きく違うのである。
ちなみに直筆譜面は以下のサイトにあることをある人から教えていただいた。

The morgan Library museum

作曲は初演後、ヨアヒムの助言を得て改版されているのであるが、改版された後も書き換えられている感じなのである。N響のプログラムノートから抜粋すると以下のようである。

※部分は私のコメント。

・第1稿
 1866年4月24日に作曲者指揮、オットー・フォン・ケーニヒスロウの独奏で初演。
 この作品に対し指揮者のヘルマン・レヴィは批判的な見解を表明。

 ※ちなみにヘルマン・レヴィはワーグナー派。『パルジファル』の初演者でもある。
 ※レヴィはこの時期にブルッフに対し交響曲を書くようにと提案していたらしい。

・改訂稿
 ブルッフがヨアヒムの元へ助言を請う。ヴァイオリンの表現にふさわしいフレージングや表現を助言。
 メンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲 ホ短調》にならって、第1楽章と第2楽章を連続させることを提案。
 1867年12月4日、ブルッフはレヴィに改訂の報告(⇒律儀だなあ)。
 
  ※レヴィはその後、改訂稿を演奏したのか?
※レヴィと相談していた交響曲第1番(1868年)を何故にブラームスへ献呈?こちらも気になる。

・改訂稿初演
 1868年1月7日にカール・ラインターラーの指揮、ヨアヒムの独奏でブレーメンにて初演。

その改訂稿初演後、バイオリン界の伝説であるフェルディナンド・ダヴィッド、レオポルト・アウアー、アンリ・ヴュータン、パブロ・デ・サラサーテなどがレパートリーとする。

※カール・ラインターラーは、ブレーメン大聖堂のオルガン奏者でもあった。
合唱指導者としてブラームスのドイツレクイエムに深く関わっている。

※レオポルト・アウアーの門下生には、エフレム・ジンバリスト、ミッシャ・エルマン、ナタン・ミルシテイン、ヤッシャ・ハイフェッツなどが綺羅星のごとくいるので、これで名曲への殿堂入りが確定したと思われる。

そんなわけで伝説的巨匠たちに演奏されているうちに、いろいろと手が入り続けていったのだろう。最終的には、ソロパート譜面に関してはフランチェスカ版で演奏するバイオリニストが多数になっていったようである。

一方、オーケストラ譜面の方は、清く正しい原典版至上主義を貫いている昨今のクラシック音楽界的な視点からすると、相当にイカガワシイ感じがする。きっちりと校訂報告されたパート譜面がないからである。まあ、弟子から弟子へと伝統が継承されていくヴィルトゥオーゾ系列を尊重するバイオリン界とは、そもそもそういうものであろう。

ということで、バッハ、ベートーヴェン、モーツアルト、ブラームスなどの研究に較べて、周辺の作曲家の研究がかなり遅れている現状をまざまざと感じさせられるのであった。ブルッフに関しては、このバイオリン協奏曲以外の作品、例えば、交響曲とか、弦楽八重奏曲とか、戦前定評の高かったと言われている合唱曲などが、もう少し演奏されるようになってくれば、いろいろと事情が変わってくるものと期待される。

●ブルッフ関係図

ブルッフ関係図

●補足《楽譜作りの難しさ》

 作曲家の直筆がすべて正しいということはない。そもそもスコアとパート譜面が異なることはよくあるし、作曲者が手紙で修正依頼を出版社に送っている場合もある。それと譜面が乱筆だと、アクセント記号なのかクレッシェンド記号なのかわからないとか(シューベルトは有名ね)、いろいろある。
 ベーレンライター出版社など原典版(批判校訂版)が有名であるが、重要なのは、校訂報告のところにそうした注意点が書いてあるので、そこをまず読んでおく必要がある。

●蛇足《ぱくり》

1879年1月1日にブラームスのバイオリン協奏曲が初演。感覚的にブラームスの方が先に作曲されていると思っていたのだが、これは意外。ということは例の三楽章は、ブラームスがぱくり。おっとっと禁句。ブラームスはブルッフの2番の協奏曲を聴いて作曲の構想をねったとのこと。


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