島岡インベンションの第1曲がようやく完成した。コンセプトはバッハ先生のインヴェンションを拠り所に島岡和声の規範をできるだけ守って作曲することとである。簡単にできると思っていたのだが、自分らしい曲(近現代音楽)を書くという心の抵抗勢力との葛藤が凄まじく、ストレスを溜めながらの作曲となった。島岡和声の規範に準拠した和声進行にしようと書き直すと、とても平凡な曲になっていくのが弾いていてとても悲しい。これは十分に島岡和声を理解していないのだろうと反省して、和声―理論と実習の3巻を何度も読み直した。その結果、悟ったのは、血肉となっていない技術のサンプリングや切り貼りではどうにもならないということだ。ここはスポーツ選手が体を鍛えるように地道に課題を解くしかない。
で、これ以上手を加えるともはや黒焦げの料理になると思ったところで作品を皿に盛ることにした。
次に曲名を考えてみた。たくさんの候補があったのだが、島岡先生が敬虔なクリスチャンであるとのことで、聖書の言葉から探り、マタイ書の言葉から、「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」を略して「わたしに学べ」とした。
以下が引用元である。
疲れた人、重荷を負っている人は、すべてわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
『くびき(軛、衡、頸木)』というのは、農業をやっていないとわからないでしょうけど、
牛、馬などの大型家畜を繋ぐ際に用いる木製の棒状器具のことだそうだ。Wiki参照
西洋人では『くびき』という言葉を使っていろいろなものに例える場合が多いが、和声学に例えると、『くびき』は禁則ということになる。『くびき』を沢山かけられた状態でいかに自由に曲をかけるかというところが腕の見せ所となるが、できた曲はこの大切な『くびき』に半端なくヒビをいれてしまった。下手くそな大工作業みたいなものである。
ちなみに島岡先生のお弟子さんに、ジブリ音楽で有名な久石譲さんがいる。久石さんが学生のころ島岡先生にこんな言葉でぶつつけたらしい。以下、久石さんのブログから流用。
音の組み合わせや配置など音楽の根本的な仕組みを学ぶのが和声学ですが、「それで曲が作れるなら、学者が最高の作曲家になれるじゃないか。訓練にならない。」と島岡先生曰く、「こんなことでつまずくとは、その程度の人ですね。」聞いて身の内が震えました。音楽には理論がある。掟をしっかり理解した上で枠を外し、自らの音楽を確立せよ。先生はそう説いたのですよ。
私などは、まだまだ音楽の和声原理を理解しておらず、例えるならレシピをみてうまい料理を研究している段階。ごった煮ではなくシンプルに。調味料の使い過ぎと、ほどよい焼き加減を研究しないとね。
曲 名:島岡インヴェンションNo1 『わたしに学べ』
演 奏:ららトーク
調律法:Herbert Anton Kellner's Bach 調律(1/5ピュタゴラスコンマ 7純正五度)
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※補足
島岡先生のお名前は譲(ゆずる)。ずっと「ジョウ」と思っていた。恥ずかしい。
久石さんは「ジョウ」なんですけどね。