武満の室内楽を聴きにトッパンホールへ行ってきた。
2016/6/25
武満 徹没後20年 TAKEMITSU OPERAWATER∞COSMOS(ウォーター リンク コスモス)
パーカッション
吉原すみれ、菅原 淳、小森邦彦、山口恭範(パーカッション)
小泉 浩(フルート) / 木村茉莉(ハープ) / 高野麗音(ハープ)
鈴木良昭(クラリネット) / 藤原浜雄(ヴァイオリン) / 毛利伯郎(チェロ)
木村かをり(ピアノ) / 小賀野久美(ピアノ)
中村鶴城(琵琶) / 柿堺 香(尺八)
プログラム武満 徹: 雨の樹
ブライス
雨の呪文
ウォーターウェイズ
エクリプス(蝕)
オリオン
閉じた眼 I
ビトゥイーン・タイズ
今回の作品の目玉は『雨の樹』である。この作品はおそらく打楽器アンサンブルの最高峰に君臨する曲とみて間違いないのだが、なかなか聴く機会がなかったので是非とも聴きたいと思っていた。しかもトッパンホールで聴けるなんて最高ではないのかな。
ということで、早めにトッパンホールへ行ったのだが、なかなか会場しない。13時30分開場の予定だったのだが、20分以上も遅れている。遅れた理由はどうやら練習が長引いているとのこと。ようやく開場し、プログラムをもらって席についたときに気が付いた。チラシの中にプログラム1部300円と書いてある紙が挟んであった。チケットを確認するときに言ってくれればよいのにと思ったのだが。苦笑。
こうした現代音楽のプログラムには、作品の詳細が書いてあるものであるが、このプログラムは、ペラペラのチラシにすぎず作品についての詳細が、ほんの数行ずつしか書いていない。
「なんだこれは?」
と少々憤慨してしまった。お金を取るほどのものでもなかろうに。
とはいえ、こんなささいなことで、演奏前の集中力が台無しになってしまうのは避けなければならない。ここは我慢だ。
そうこうしているうちに、随分とおくれて演奏会が始まったのだが、趣向を凝らしているのかどうかわからないが、武満の映像と録音した音楽が流れてきた。安物のパビリオンのように流さなくともよいのに、何か解説でもあるのかと思っていたところ、この邪魔な音響が終わらないうちに、『雨の樹』の演奏がはじまってしまった。
「はあ~!!!」
この曲は、静寂のなかからぽつり、ぽつりと雨の粒が降ってくるところが最大の魅力であり、それを聴くために、すべての神経を集中して聴いているのにこれは酷すぎるにもほどがある不意打ちである。この不意打ちで、頭から湯気が噴き出すくらいの状態になり、しばらくは音楽を聴いている正常状態にはもどれなかった。
この企画を計画した人は、クラシック音楽というものをまったく理解していないに違いない。この人に教えておいてやろう。クラシック音楽のコンサートは、演奏者と聴衆との神聖な戦いの場でもある。ソリストが舞台にあがり、しばらく楽器をもったままでじっとしているなかで静寂が深まっていく。そのときに突然音楽が鳴り出す。その瞬間こそがクラシック音楽のだいご味なのである。
主催者は武満のこの言葉を知っているのか?
『音、沈黙と測りあえるほどに』
だ!!!!
と指導モードに入ってしまったが、演奏そのものは初演者もたくさん交えているので素晴らしものであったから、このダメ演出には一層腹がたつ。タッシ・アーツ最低だね。名前を記憶しておく。
次回は、トッパンホールが主催となり、武満の演奏会をやってほしいものだ。
追記:
トッパンホールで聴く打楽器の音は、弱音であっても直接に耳に届き、より大きく太く聴こえることに驚く。打楽器はアタック音が速いので、残響が少し遅れて聴こえてくるのである。こんな小さなホールなのに、残響にディレイがかかっているのがわかるのは新鮮な驚きであった。これがバイオリンの場合うまく聴こえる音響になっているのだろう。
ブライスを聴いてときに、ぶったまげた。2台のハープの音程がまったくあっていないのである。気持ち悪い響きだ。最初、え~と思ったのだが、これはガメラン音楽を模したもので、そうした趣向なのである。それとハープによる特殊奏法である弦の根元のところをハープのフレームにそってこすりながら奏法は面白い。キュ~~ン、キュ~~ンと不思議な音響だ。
エクリプスを聴けるとは。かなりラッキーだ。この作品は当時、武満が和楽器である琵琶と尺八にどんなことができるのか試す目的で作曲している。基本は伝統にそった弾き方と思うが、ところどころ、和楽器による前衛奏法がさく裂するのが面白いのだが、西洋の伝統奏法であるトリルが尺八にできるのかと妙に感心する。
ビトゥイーン・タイズは、武満の晩年作品。バイオリンとチェロの掛け合いがなんともベートーヴェン後期弦楽四重奏曲を彷彿させるワクワク感があるのだが、いかんせん展開部がありきたりで説得力なし。こうした作品を聴くと、ベートーヴェンがいかに偉大な作曲家であったのかかがわかる。日本人作曲家はありきたりの展開部しかかけないのである。宇宙的な想像力にあふれた展開部をかける作曲家は、バッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、バルトーク、ブラームス、ラヴェル、シベリウスなど、西洋音楽のなかでもごく一部であるので仕方ないのであるが。
これは全体的な印象だが、武満の作品だけでプログラムを構成するのはつらいものがある。テンポが緩やかで各作品が似ているので、集中力が持たない。バッハの無伴奏の連続演奏会だとそれだけで宇宙になっているので、2時間くらいは何ともないし、演奏者の疲れなどの肉体的な理由からも音楽に揺らぎが生じるので、そこはかとなく人間を感じる瞬間があって面白いものなのだが。
いまのところ、武満の室内楽で残っていくものは、以下の曲かなあ。クラシック音楽の場合は、後世に残るかどうかは、聴衆が決めるものではなく演奏家が決めるものであるので、どうなるかはわからないが、聴衆の視点から考えると以下であろう。
弦楽四重奏曲:ア・ウェイ・ア・ローン【繊細な傑作】
打楽器のための作品:ムナーリ・バイ・ムナーリ【傑作】
打楽器のための作品:雨の樹【日本の最高傑作品】
アルトフルートとギターのための:海へ【標準レパートリー】
カトレーンII【佳作】
ピアノ:雨の樹 素描I、素描II 【佳作】
十一月の霧と菊の彼方から 【駄作 コンクール用】
妖精の距離 【聴きやすいが駄作】